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桑田真澄『試練が人を磨く』扶桑社を久々に読んだ。この本で読んでいて、感銘を受けたことがいくらかあるが、特に、次の点は改めて考えさせられた。
「生きる目的は、自分を磨くことだと僕は思う。だから、試練や困難は僕に与えられた砥石なのだ。」 「自分を磨く、僕は特に【人間力を磨く】ことを常に考えている。」 「大物とは、金持ちや有名な人でも、名誉がある人でもない。人間力の素晴らしい人だ。」 「要するに人間力とは、すべてのことにありがたいと思える心を持ち、いつも毅然とした態度で、常に気持ちが大きく、何とも言えない大きさを感じさせる人間に備わっている」 「だから、人間力に到達点はない。無限なのだ。限界がない。そこに少しでも近づきたい。」 同時に彼は、「大局的にモノを見る事」、「人生は死ぬまで勉強だ」とも述べている。これは、学問にも、今の自分のあり方にも通じるモンがあるなぁ…。
飛躍する人、一流の人は次の4つが満たされている人ではないだろうか。
●バック(恩師やバックアップしてくれる人など) ●サイド(自分の相方、懐刀) ●ライン(友人筋、人脈など) ●自分自身 私自身はまだ一流ではない。しかし、かなり飛躍したことは事実である。ボンクラが学問のプロにまでなったのだからね…。その要因は、上の4つが全て満たされたためである(勿論、ボンクラが勝ち続けるための努力は必要)。私自身は弱い人間だ。自分の弱さを認知した上で向かい続けることもまた大切でである。 また、実際に本学の学生にも、突然大躍進した人は何人かいる。その一人であるX君。最初は覇気も何もないので、自称「学壇の勝負師」の私の目に止まる存在ではなかったが、X君は、友人と相方、彼に声をかけた教員が飛躍の契機になって翌年急激に化けた。 でも、彼が飛躍したのはそれを活かして、更に自分自身が粉骨砕身の努力をしたからである。正直、本来の日本語の意味で彼を見損なっていた。 X君の大躍進は上の4つが全て満たされていた。私が察するに、彼の「サイド」の存在が大きかったのではないか。同年代に「サイド」がいると、大きな励みになる。その「サイド」が夢に向かって頑張っていると、良い意味で刺激される。私も、「サイド」による刺激がかなりある。今でもある。そのためには、出会いがあることと、自分で動くことが大切である。 さあ、君たちも人生の飛躍をしようじゃないか!
「先生の自分のコントロールや意気高揚の方法はありますか?」と、いう質問が来た。
私は、自称「学壇の勝負師」、「魂のストッパー」である。勝負のために稽古とメントレは毎日している。これは、次の理由である。 ① 毎日が「勝負事」だという私の考え ② 私は気が小さいので、弱気にならないため。 ③ 自信を持って本番に挑むため 。 ④ プロとして相手に魅せるため(講義、営業、TV解説…etc.) 第1に、稽古については、法律、経済学、商業学という自分の学問的ツールは勿論、ネタ集め、指導の方法等も稽古する。 また、講義や学会、司会者等で喋りの仕事がある時は、事前に時間配分や緩急の付け方の稽古もする。私のネタは、1分用、3分用、5分用、10分用、15分用、20分用、30分用のパターンがある。また、テレビ生放送に出た時を契機に、これに30秒用のパターンも加えている。 講義では、これらのパターンを組み合わせて60分で喋っている。私には「お笑い」という変化球もあるが、基本は核心・本質という「魂」を込めた「真っ直ぐ」だ。私が講義で実際喋っているのは長くても70分である。 後は学生への質問、資料提示、そしてアドリブやロスタイムである。 第2に、メントレの方法である。私の場合、野球、F1、ボートレース、音楽、何でもある。これで気合いを入れて挑む。私にとっては、ライブ(講義・舞台)等で自分を見せる時は常に真剣勝負だ 。「自分が1着を取って勝つこと」をイメージして自分を高めて常にポジティブに持って行って勝負に挑んでいる。
武田信玄は、幼児に昔話を聞かせることによって、良い武将になるか否かを見極めたそうである。これによれば…
① コクリ寝ているか、又は物語が終わった途端にとっとと席を立ってしまう子供 →9割は臆病者。武将としては全くの役立たずとなってしまう! ② 口を開けたまま語る人の顔ばかり見ている子供 →落ち着きがなく、良い家来や友人が得られないまま終わってしまう! ③ 語り手の顔を見て、笑って意味ありげな表情をする子供 →優秀な武将ではあるが、威張り散らしたりするため他人から憎まれる! ④ うつむき加減だが、耳を澄ませて話に聞き入る子供 →戦場で勇ましい活躍をする大人になる。山本勘助のような知勇兼備の武将になる! 言うまでもなく、一番良いのは④で、これは現代の学生にも言える。アイデア豊富な人、応用・実践に長けた人は、実は優れた吸収力と柔軟性を持った人でもある。吸収力のある人、それは次のうちいずれかが実践できている人である。 ① 他の人の芸を盗むのが巧い人 →良い所を見極めて、それを自分が実践可能な形に展開できる力がある! とにかく、不器用でもいいから吸収しようという姿勢がないとできない! ② 話の折にメモを取る人 →実は、これが大事。後の実践にも繋がる。 でも、誰でも出来る事のようで、人から教えを頂くという謙虚さがないとできない! 大きく伸びる学生は①と②の両方を持っていて、かつ武田信玄の言う④のタイプである。かつて、私のライブ(講義)、起業家精神養成講座、柏木ゼミ等で主力級・トップ級の力を発揮したのはそういう子達である。そんなタイプなら、たとえ不器用でも最初はさほど大して能力がなくても、じわりじわりと力を付けてエース級になっているのである。 もっとも、優れた素質があってもさびてしまう人は、慢心があって①も②もない事が多々ある!それこそ、「弱気と慢心は最大の敵」である。 さあ、どんどんメモをとって芸を盗んで吸収していこう!
「全力を傾けた事に対するミスは許すが、怠慢、並びに慢心によるミスは許さない。」
これは、私の指導方法である。勝敗は兵家の常で、勝ちも負けもあるのは常態だ。それゆえ、私は、自分が全身全霊を傾けたものに対して失敗したり結果が出なくても怒らない。だから、技量的にはヘタでも、不器用でも構わない。懸命に食らいついて来る人はサポートする。 そんな人は、失敗を糧にして伸びる。私は、「原因」を聞く。それから、「転んでもタダでは起きるな、次倍にして返したれ!」とハッパをかける。しかし、 ●「課題? やってません。だから、どうなるんです?」 ●「試験は書いておけば単位はくれるはず。くれない教員の方が間違っている」 ●「試験もないし、出席したから座っているだけで単位取れる」 等は、怠慢と慢心だ。こういう時は、鉄槌を下す。「泣いて馬謖を斬る」決断である。過去に、ゼミ・講義で「もう来週から来なくてもいいよ。」と失格通告を出して追い返した事もある。 確かに大学は義務教育ではないから、ついてこれない人は無理せずとも良い。でも、自分の怠慢・慢心を顧みず、安易に楽な方へ逃げることは自分を信じてくれてた人、支えてくれた人の事を忘れ、悲しませていないか?自分を信じてくれている人、支えてくれている人の事を忘れた自分勝手な人は、私が一番許せない事(弟子なら即刻破門モノ)である。 もし、思い当たる節があれば、変わるのはこれからだ!あなたを信じてくれている人、愛する人のために!
泣きたくなる程悔しい時、チクショーって思う時もあるだろう。私も、聖人君子ではないから、こんなモン日常茶飯事だ。でも、これでシッポを蒔いて逃げたら、自分をなめとる奴等の思うツボだ。
「このまま終わってたまるか! なめさらすなよ!」 これは、ハッキリ言って「悪の感情」である。どやされた時、フラれた時、結果が出ない時、勝負に負けた時、そんな気になり得る。「悪の感情」も爆発力があって、実は自分を飛躍させるバネになる。 (神田昌典『非常識な成功法』) でも、永く持ち続けるのは、逆恨みか負け犬の遠吠えでしかなく、カッコ悪い。神田氏が言うように、最初のほんの一瞬だけ持つべきものである。腐ることなく、ふてくされることなく、悔し涙を沢山流そうよ!その涙が乾いたら、今までの自分を見返してやろうよ! 自分の気合いが本物である事を第三者に理解してもらえるのは、言葉や理屈ではない。態度と行動あるのみだ。
私も今年でプロ入りして7年目で、学問だけでなく各分野のプロを目指す人を指導する立場にもなった。そんな折、大学院に行く学生から、私にこんな質問があった。
「研究者、教育者の両方に必要なことは何ですか?」 私は、次の4つを考えていて、全てが大切だと考えている。 ① 自ら動いて、言われずとも行動すること ② 研究分野や相手への熱い思いと向上心 ③ 温かい心と冷静な頭脳(A.マーシャル) ④ フレキシビリティ(=柔軟性) ①、②、③はプロとして当然で、これがなくなった時はとっとと引退した方が良い。この頃、私が大学院生や教員候補生を見ていると、なぜか④が欠けている事が多いようにも見える。 もっとも、本を読まない者、自ら動かない者は、適性・能力的に論外である。 ①~④を欠くと、研究者としては、固定観念に囚われて観察力が鈍ったり、アイデアが出なくなったりする。教育者としては、その時折の状況に応じた臨機応変さ、相手の立場を考えた指導ができなってしまう。 この傾向、実は、優秀な人やブランド大学に入ったという人にも見られる。彼らは、①と②は持っている。そのパワーは強みだが、フレキシビリティを欠くとそれは弱みにもなってしまう。学問的指導者に必要な「リード」ができず、時には「致命的欠陥」にもなる。事実判断と相手の置かれている状況を気づき・読み取る“Read”と、弟子を導く“Lead”の両方ができなくなるからだ。 また、研究での的確な観察と多面的思考も、教育での公平さ・公明正大さも④が必要である。 ④を欠くことにより、視野狭窄に陥って自分の好き嫌いだけでしか、ヒトやモノを見れなくなってはならないからだ。 ①~④は、消費者事件の研究や消費者教育実践をしていて、痛切に気づかされた事である。
野球で言えば、「直球派の全力勝負」である。とにかく、自分の全てを出す、ここ一番攻める時は「全速でターンする」という考えである。スロットル緩めて後悔するより、全速で攻めて行く方が、負けても悔いはないと考えている。もし、落として回って負けたり、変化球に頼って痛打を喰らって負ける方が余計に悔いが残るからである。
(※ 「落として回る」:ボートレースでスロットルを緩め、減速してターンすることを言う。「全速でターンする」ことは、逆に「握って回る」と言う。) 全速勝負には次のメリットがある。 ●自分の気持ちに正直でいられること ●さすがにこれ以上はかえってマイナスに転じてしまう、という本来の「限界点(=極大点)」がわかる ●全速状態のコントロールが出来れば、大抵の場合でもコントロールが出来るようになる ●自分にとってベストの状態、立ち回るべきポジション、パワーのコントロールは何か、どこかわかる そして、常に全開でいるためには、その5でも展開したが、 ○全速で行けるように、基本を怠らず、自分に対する「整備」をすること ○負い目を作らないこと が必要である。努力が足りないと思って遺恨を残したり、まだ向上の余地があるのに極大点でもその近辺でもない所(それも低い段階)で妥協したり、手を抜いたりせず、自分自身に全力を注いで行くことこそ悔いはないものである。「弱気と慢心は最大の敵」と「困った時の全速直球勝負」である。もし、それでも負けたら、 「オレよりも努力した。けど、そいつの方がオレの何倍も努力した、ということだけや。」 「オレも自分を出し切った。けど、先方にとってはあいつの方がヨリ向いていた。それだけや。」 入試、就職活動、恋愛、結婚、とにかく勝負に出る事全てにおいて、そう割り切ろう。人生の勝負に挑んでいる皆さんへの応援メッセージである。 但し、自分自身に全力を注がずにこのセリフは吐いてはならない。
楽そうに見える方を選ぶな、辛そうに見える方を選べ。
大学でも何でも、どこに行ったか(入ったか)ではない。 何事も自分次第。点数や結果で一喜一憂して終わるのは愚の骨頂。 自分で動いて、自分で見つけて、そして感じ取る。 そのプロセスが大切で、それに比せば、ラフな言い方だけど「結果はクソ」。 アカン思うたら、自分が変わるか自分で変えるものである。 そして、弱気と慢心は最大の敵なり。 単に1度の成功・勝利を得たこと(失敗した事)で終わるのではなく、その後も自分を磨き続けていることが大切である。大学に入った、仕事についた、というのは確かに結果である。 しかし、それはその成功を得るために、かなり尽力したというプロセスの賜物である。ちなみに、偏差値の高さというのもそこまで積み上げてきたものの大きさでもある。誰かがしてくれることを待っているのでは、これは、できない。ただ、その一時の結果に慢心してその後自分を磨くことも、積み上げもなければ、その時点で過去の結果(栄光でも挫折でも)は「クソ」である。これが「結果はクソ」の第1の意味である。 逆に、低い方は稽古不足か自分は何もしていないのと同然である。その結果に居直って何の努力もしないのは、慢心があると同時に弱気にもなっている状態である。自分を磨けるのに、一時の結果に対する「負け犬根性」の虜になっててそれを妨げているのである。これが、「結果はクソ」の第2の意味である。 私は、「偏差値上等夜露死苦」ということをよくライブで言う。これは、「一時の偏差値や結果に囚われ続けず、常に自分を向上させろ」と趣旨である。 「アカンと思ったら、自分が変わるか、自分で変えるしかない」 これは、私が学部1年の時に、大学を辞めようかと思っていた折りに、師匠・小谷正守教授から言われた一言である。それ以来、「負けてなるか」とまくり上げ、才女や秀才達とも競り合い続ける事ができたのである。勿論、これで終わりたくはない! 私が、学問の世界を通じてで数々の素晴らしき方と過ごす機会があることは、このご褒美だと思っている。ボンクラの私でもここまでできるのだ。必要なのは、「正確な方法」による努力と積み上げである。
その4で展開した全開でいることに関して、
「先生は、なぜいつも全開でいられるのですか?その極意ってありますか?」 これは、よく聞かれる。全開で行く理由は、前回展開した通り。但し、やみくもにスロットルを握るだけでは全速にはならない。人生、自分自身が常に全速でいられるにはコツが要るもので、これは、カートやボートの操縦に例えられる(操縦してみれば実感できるが)。 あれは、ただフルスロットルにしているだけでは全速にならない。路面や水面の状態に併せてじわりじわりと送り込むように、スロットルを調整する必要がある。そうでなければ踏んでいるだけで全く加速しなかったり、ホイールスピン(空回り)するからである。 また、自分自身が「常にフルスロットル」でいられるためには、スロットルの加減だけではない。自分自身のモーター整備(=自分出し)も必要である。これを忘れてはならない。 私は、自分の論文や報告、学生の答案やプレゼンなら、内容が良いかどうかはすぐわかる。 ふと、学生のプレゼンを見ていると、「こいつ、エンジン出とらんなぁ…」と思うことがある。こういう時は、勝負ダマになる程、調整出来ていないのである。つまり、調整不足であるが、その中身は、4つ考えられる。 ●何もやっていない →論外。自分の「慢心」以外、何物でもない。 ●実行したが、量が足りない →「相手にお見せする(お魅せする)」という気持ちを持って、挑むべし。 ●自信が持てていない →自信を持って本番に挑むには、納得行くまで稽古すべし。 ●調整方法と中身が間違っている →これは、指導者が補正してあげなければならない。指導者の腕が試される! どんな達人でも、自分が分からんモンや自信ないモンを理解させたり、喜ばせたりすることなどはできない。「自分が理解し、自分が楽しみ、自分に自信が持って挑めるように調整する」ことが大切である。 これが、カシワギ流「フルスロットルの自分出し」、「人に魅せる自分出し」の基本である。もっとも、それが出来ているか否かの判定は、自分が決めることではなく、第三者が決めることではあるが…。
「一期一会」の本来の意味は案外、理解できていない。一期一会は元々は茶の湯の教えを説いた言葉である。その本意は、次の通りである。
「たとえ今後、幾度かの茶会を開く機会があるとしても、この茶会と全く同じ茶会は二度と開くことが出来ない。それ故、一度きりのものと心得て、相手に対して精一杯の誠意を尽くさなければならない。」 相手が今健全でも、次の日には何があるか分からないし、自分も落命するかもしれない。だから、その出会いが二度と来ないかも知れないから、今この時ぞとばかりに誠心誠意を心を込める。私が常に全開でいるのは、この「一期一会」の精神が根底にある。 私は、できない事、呑めない事は「No」とハッキリ言う。しかし、一旦受けたものはその人達のために全力を尽くす。また、人と会うのに、相手の社会的地位は関係ない。自分が向き合う相手はどの人も大切で、ランク付けなどしない。どの人もみんな違って、みんないい。お互いにみんなそれぞれ尊い存在である。これは「天上天下唯我独尊」の正しい意味でもある。会う相手をランク付けしていれば自分もそうされてしまう。「巡り巡りて我が身に還る」ものである。長い目で見れば、相手も自分も不幸にさせてしまうのでそうしたくない、というのも理由である。 ただ、私は礼節をわきまえぬ相手は俗世間の地位が何であれ許容しない。また、相手の地位、年齢、学歴やステータス、出されたギャラでコロコロ態度を変えるような輩も許容しない。そんな輩とは二度と会いたくないし、会わない。「大学の名前で態度変える上に、礼節をわきまえぬ方とは同席できません」と途中で帰った席も何度かある。 「向き合う相手にランクなし、向き合う以上は常に全開。学問でも芸でも、自分の為す事で1人でも多くの人に感謝してもらえる事。」 「偽善者だ」と「夢想家だ」言われもするが、それが私の美学、それが私のプライドである。
これは、かつて起業家精神養成講座で株式会社鎌屋の鎌谷さんが展開した事である。次の3つは、雷に打たれたような思いがした。
①「ライスワーク」ではなく「ライフワーク」 確かに「メシ食うために働く」のだけれども、プロならば、「人生の糧とせよ」ということである。 ②「好き」「得意」「儲かる」の3つができる事を早く発見せよ 鎌谷さん曰く、「この3つを早く見つける事が大切で、そのためには「能動的」に行動せよ。 そして、それが見つかれば『起業家精神』を実践していると言える。この起業家精神は何も経営者だけではなく、サラリーマンやアルバイトにも必要なこと。その点では、例えば、イチローは立派な起業家精神の実践者である。 ③自分を変える方法 今の自分を親や家庭のせいにする人もいるが、自分の意識改革こそ必要だ。そして、次のステップを採ると良い。 考え方を「少しだけ」変える→意識が変わる→行動が変わる ↓ 習慣が変わる ↓ 性格が変わる ↓ 運命が変わる→人生が変わる との事である。 私は、消費者事件や消費者教育の研究は大好きだし、得意である。曲がりなりにもそれでメシ食えるようもになったし、今では学問と演芸の2本の組み立てで展開できる。しかし、プロである以上はそれを魅せることを常に考えている。これがまさに「ライフワーク」である。 私は、「消費者事件の研究と消費者教育のライブさせたら日本一だ」と、言われる所までに高めたいと常に考えている。 まずは、自分の好きなものを見つけよう! そこを高め、極めていくのも一手だ。
「弱気と慢心は最大の敵」。これは、カシワギの考えの中でも大黒柱とも言うべき考えである。自分に対しても、弟子に対しても、口を酸っぱくして言っている。かつて広島カープで「炎のストッパー」と言われた津田恒実投手の座右の銘「弱気は最大の敵」に、私が「慢心」を付け足したものである。
自分の力を信じて「真っ向勝負」するということは、勝ち時を逃さないためにも大切なことである。ただ、私は「慢心や驕り、油断が出た時に自分が陥落した」経験が何度かある。学科の能力も然りだ。慢心は向上を妨げる元だ。それゆえ、「慢心」を付け足して、「勝負時」と「人を率いて前に出る時」は、弱気と慢心に気を付けよ、という考え方を持っているのだ。 頑張る同僚、頑張る学生もいる。彼らに刺激されながら切磋琢磨していかなければならない。 弱気と慢心に陥らないためのコントロールが、自分出しには必要である。 「弱気と慢心は最大の敵」という言葉は、ありとあらゆる状況で直面するし、忘れてはならない。
「感謝、驕らないこと、自信を持つ事の三位一体」。これは、桑田真澄投手の言葉(桑田真澄『試練が人を磨く-桑田真澄という生き方』(p.47))である。
私は、「1億5000万分の1のファンの皆様にありがとう。」と、いう気持ちを常に持っている。「何やこれ!」と思うかもしれないが、自分のファンは皆大切で、お一人お一人に感謝、という意味である。 私は、常に百戦百勝の勝ち馬ではない。ノックアウトされて帰ってくることもある。むしろ、そっちの方が多いだろう。そんな中でも、私は「感謝と驕らないこと、自信を持つこと、の三位一体」を持つようにしている。この3つの気持ちがうまく回っていることが、自分のコンディショニングに必要である。 学者は、いかに「感情の起伏」や「好不調の波」を抑えるかが大切で、ピッチャーに通じるモノも多々ある。私は、これがかなり激しい方なので、その制御のために色々な調整法をしている。 「オレにはファンがいる」という気持ちを持つこともその一つである。 また、あまりにも身近で当たり前になっている事が多いと、自分を支えてくれる人、信じてくれる人への感謝の気持ちを忘れてしまう事はないだろうか。その人を忘れたり、礼節を欠いたり、敬意を払わぬ事があってはならない。信用を失うだけでなく、心から支援してくれる人を失ってしまう事にもなりかねない。そうならないよう、努めてほしい。
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